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今日は民間伝承の昔話を一つ。
昔、あるところに弥生(やよい)という女の子がおったそうな。
年のころは数えて十。母親は病で床に伏せがちで弥生と二人暮らし。
ある日、母親は「今日は調子がいい」と弥生を山へと連れて入った。
普段、青白い顔をして大人しくしてなさいという母親も今日は機嫌がいい。
いくら弥生が騒いでも咎めることなく山へと進み入った。
途中、おむすびを食べたが母親はニコニコ笑っているだけで自分は食べない。
「ほら、またついた」
そういうと母親は弥生の口の端についたご飯粒を拭って優しく笑った。
そのまま二人は奥へと進み、弥生が見たこともない竹やぶが目の前に広がる。
天上に届く立派な竹が空を覆い隠して木漏れ日が眩しい。
―――――――― 。
2〜3日して弥生と母親がいなくなったことに村人が気付いた。
辺りを探してみたが二人の姿は見当たらない。
山へ入って行く二人を見たという村人がいたのでこれは"神隠し"に違いないと村人は恐れて口をつぐんだ。
それから十余年……ひょっこりと弥生が村に姿をあらわした。
母親の姿はなく不思議なことに失踪したその時の姿形そのままだった。
少し服が破れて傷があるが、命に別状はなさそうだ。
村人が「なにがあった?」、「おっかぁはどうした?」と弥生に聞くがボーっと立ち尽くすだけでなにも答えない。
無理もない。弥生は少し足りない子(知的障害者)でロクに話せなかったのだ。
ただ、不思議なことに弥生はどこで覚えたのか文字の読み書きが出来るようになっていたのだという。
―――――――― と、いうのが九州からこちらの大学に出て来て、就職のため上京が決まったキタハラ君から聞いた話だ。
キタハラ君いわく彼のおばあちゃんから聞いた話らしいが、要はマムシが出るからあの山には一人で入ってはいけないという戒めだったらしい。
ふっと僕は思ったことを口走った。
「その母親さ、小さな子供連れて無理心中図ろうとしてたんじゃねぇの?」
キタハラ君は言われて見るとそうかもしれない、怖いですね昔話はなんて適当に返していたように思う。
それからいくつ経ったころだろうか、キタハラ君は大学が春休みの卒業前に九州の実家に帰省した。
少しボケ始めた(失礼……)妙齢のおばあちゃんはキタハラ君を息子と勘違いしては彼の父親の名前で呼ぶ。
僕が"無理心中"なんて言ったもんだから少し気になっていたキタハラ君は詳しく聞こうと思っていたらしいが、この状態では難しい。
「おばあちゃんあのな……」
それでもキタハラ君はダメ元で件の昔話のことを聞いてみた。
瞬間、それまで呆けていたおばあちゃんの目つきが変わって背筋も伸びたという。
相変わらず孫と子の区別がつかず取り違えているが、「皆、信じないけど」と前置きしたうえでおばあちゃんは続ける。
「子供のころおばあさん(キタハラ君の高祖父母)からその話、聞いてうちは山が怖くてな……」
いつか山の神か魔物にさらわれてしまうのではなかろうかと気が気でならないながらもおばあちゃんは暮らしていた。
ある日、山のふもとで妙に心がさらわれ誰にいわれるでもなく山へと入った。
道ならぬ獣道を知ってるかごとくズン、ズンと進み入り、生まれて初めて行く道を迷うことなく分け入る。
気付けば眼前に昔話さながら、見たこともない竹やぶが広がっていた。
急に怖くなって帰ろうと思ったが、どこをどう進んで来たのか分からない。
半ベソをかきながらウロウロしているとまた同じところに出て来てしまう。
そんなことを繰り返していよいよ日が暮れて来たころ、不思議な光景を目の当たりにした。
大きな、大きな白い繭。
さきほどまでこんなものあっただろうか? 別の道に出て来たのだろうか?
一本の竹のふもとに自分の身がスッポリと入ってしまいそうなぐらいの繭がある。
気になって近づいて見ると動いている気配はない。
木の枝でつついて見た。反応はない。
思い切って木の枝で無暗やたらに切り裂いてこじ開けた。
目を疑ったという。
目をカッと見開いた見たことのない子供が三角座りの体勢で繭に収まっていたというのだ。
驚いて寄生を発し、どこをどう走ったのか覚えていない。
気付けば近所のおじさんが山を歩いている姿を見つけたので泣きながら飛び付いた。
それからしばらく……経を上げに来たお寺さんにおばあちゃんは、あったることを話して見た。
「お嬢ちゃん。それは山の神様の領域に入ったんだよ」
優しくそう言われた。その山は神隠し山の異称でも知られる通り、非常に失踪者が多いことで有名な山だという。
「じゃぁ、あの繭に入っていた子供はなに? 誰なの?」
おばあちゃんは聞いた。
「神隠しに遭った子だよ。抜け殻だけどね」
お寺さんは優しく笑う。
いわく、魂だけを持って行かれたから肉体と幽体だけはまだそこにあるのだ、と。
それを神の繭で時を止め、一切の劣化をさせずに保存する。
神にさらわれた魂は人としての一生を正しく終えたことになり、成仏し輪廻転生を迎える。
ならその抜け殻はなんのために保存されるのか?
不浄魂(ふじょうこん)、すなわち自殺した成仏の効かない魂を入れる"器"として存在するそうだ。
明け渡された肉体と幽体を持って人生の再スタートを切り、人としての一生を正しく終えるためにやり直しをさせられる。
「山でね……自ら命を絶つ人が多いから山の神様はやり直しをさせるんだ。それが神隠しの原因なんだ」
と、ここまでが僕がキタハラ君伝いにおばあちゃんから聞いた話だ。
自殺者が人生のやり直しをさせられるのはどうとして、それがために強制的に人生を終わらせられる器となる人……すなわち神隠しの被害者はたまったものではない。
それをキタハラ君に伝えるとウンウンと頷く。
「僕もねそれ思ったんですよ。某さんなにか知りません?」
そんなことを言われても僕は霊能者でもなければ民俗学者でもないので首をひねるばかり。
で、少し調べてなんだか妙に納得してしまった。
神隠しには遭いやすい気質というものがあるらしい。
神経質な子供、または知的障害がある者、精神的に不安定な女性……これらが上げられるという。
神経質な子供はさておき、知的障害がある者とはある意味うなづける。
これから虐げられ、世話を焼かれ、うとましがられるぐらいなら綺麗事抜きにしてさっさと輪廻転生を迎えた方が本人にとってよっぽど楽だろう。
自殺した不浄魂のやり直しが例え虐げられる人生でも文句は言えないのだ。
そして精神的に不安定な女性……もうこれはただの嫉妬だ。
山の神というのは一部では絶対的に女であると言われている。だから山岳信仰では女人禁制もある。
おまけに嫉妬深く、女が山に入っただけで荒れ狂う手に負えない山神もいるらしい。
精神的に弱っていればなおのこと狙いやすいだろう。山の神からすれば嫉妬の矛先などさっさと器にしてしまえば目障りでなくなるのだ。
で、ふと気づいた。
<無理心中図ろうとしてたんじゃねぇの?>
言い放った自分の言葉に難儀する。
弥生が器になってやり直しをさせられたのは……
怖かっただけの話 (2012.03.02)
はざ間 - 恐怖・不思議体験備忘録
某
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